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少し前に「テルマエロマエ」という映画で、「お風呂文化」にスポットが当りましたが、私は、以前から銭湯という日本独特の文化空間を、様々な角度から楽しんでいました。きっかけは、仕事上タイトなスケジュールで、徹夜になることもしばしば。帰宅できなかった翌日、疲れた体をさっぱりさせようと、銭湯へ行くようになったからでした。

レポーター紹介
関戸 隆久(せきどたかひさ) 建築家

銭湯の楽しみ

銭湯の楽しみは、何と言っても大きな浴槽でたっぷりのお湯に浸かり、さっぱりと心と身体をリセットし、マイナスイオン効果いっぱいでリラックスできるところです。また、入浴後の心地よい脱力感は、この上ない特別な感覚です。こんなに手軽でローコストな癒し空間は、他にないのではないでしょうか。400円で楽しめるヒーリングスポットへいつでも行けるように、私の車には「入浴セット」が常備してあります。
もうひとつの楽しみは、建築文化として建物の外観・内観を鑑賞することです。必要機能を満たしながら、遊び心ある「デザイン」=「意匠」がたくさん施されています。寺社仏閣などの重要文化財のそれとは異なり、時には「なんでこんなデザイン?」という突飛な色や形が使用されるなど、庶民の暮らしの中に意匠が盛り込まれていて、とても面白い空間です。
建築的な視点で建物を観ると、手業・手仕事が、経年によってどのように変化するかを、美しく見せてくれる貴重な資料でもあります。しかし、残念ながら最近では、心温まる風情ある構えは、名古屋市内ではどんどんなくなってきています。重要文化財に指定される建物ではないので、時代の移り変わりと共になくなっていくのは、とても残念に感じます。

  • 右:昔ながらの銭湯 左上:壁の意匠 左下:遊び心あふれる空間
  • 右:昔ながらの銭湯 左上:壁の意匠 左下:遊び心あふれる空間

生活に密着した文化

最近では、銭湯の新しい形として「スーパー銭湯」がありますが、改めて街の小さな銭湯の楽しさを知ると少し違和感を感じ、近頃はほとんど行かなくなりました。スーパー銭湯は、華やいだ広い空間で、それなりに楽しめるものが提供されていますが、心が通わない感覚があります。例えるなら、大型食品スーパーで買い物をする感覚です。逆に銭湯は、古い商店街で買い物をする感覚で、人々の日常の会話といきいきとした生活を肌で感じることができます。
以前、歴史と趣きのある銭湯に行った時に、番台に座っていた二代目らしき70代の気さくな親父さんが、脱衣室の壁一面にある大きな鏡を指差し「この鏡は昭和初期の創業当時、ドイツから取り寄せた鏡で、今でもきれいで錆びてなくて、映り具合がとてもいい。ここの唯一の宝物だよ。」と嬉しそうに話してくれました。また、先日初めて行った銭湯で、風呂上がりにテレビを眺めて、ウトウトしていたら「だいぶ疲れているみたいだね。」と言われ、床に座らされたと思ったら突然、エビ反り状態のストレッチを施術されたこともあります。いきなりでしたが戸惑いながらも、一連の出来事と気持ち良さに、思わず笑えてきました。おかげで疲れもすっきりとれ、爽快な風呂上がりになりました。時には、常連客らしきおじさんと会話をしたり、気軽に人と触れ合え、心地よくなれるところが、銭湯の魅力の一つでもあります。
見知らぬ土地での銭湯は、また違った楽しみがあります。銭湯は、近所の人たちの情報交換の場でもある訳ですから、地元の面白い情報を得ることができます。知らない街で美味しいお店を探すには、銭湯が一番だと思います。番台の親父さん(おばちゃん)や常連客に尋ねると、ガイドブックに載っていない地元住民保証付きのリーズナブルで美味しいお店の情報を、提供してくれるはずです。

  • 左:銭湯ならではの風景 右:ドイツから取り寄せた大きな鏡
  • 左:銭湯ならではの風景 右:ドイツから取り寄せた大きな鏡

日本独自の文化

銭湯の歴史について、少し触れておきましょう。日本人は元来、清潔好きな民族として知られています。風呂の形態は、すでに奈良時代にみられ、有名な公衆浴場は1587年に建てられた、京都にある妙心寺の「明智風呂」で重要文化財となっています。この浴室は、どちらかといえばサウナ形式で、僧侶が修業の一つとしてお経を唱えたということですが、お風呂の気持ち良さを味わっていたに違いありません。 また、光秀を供養する場として、仏教の普及にも一役買っていたようです。
江戸時代には、たくさんの公衆浴場ができました。二階建てで、一階が浴場、二階は休憩所で酒を飲んだり、囲碁や将棋を楽しんだりしたようです。これは、現代のスーパー銭湯にも似た要素を持っていたことになります。驚くことに、初期の頃は男女混浴だったということです。風呂屋によっては、湯女をおき背中を流す傍ら、二階が売春場となっていたところもあるようですが、やはり、後に風紀が乱れ、幕府の取締りが厳しくなったという記録が残っています。時代が下ると風呂屋も、庶民の衛生上のためという健全な形で、男女別となっていったようです。
昭和の中頃までは、下宿屋や長屋が町内には数多く存在し、ほとんど風呂付きではなかったため、必ず町内の近場に1件は銭湯があったのですが、高度経済成長と共に風呂付きの家やマンションが建築され、それと共に銭湯は姿を消していきました。地域のコミュニケーションが薄れていったのも、この時期と重なるようです。近年では後継ぎもいなくなり、休業する銭湯が続出しています。

  • 京都にある妙心寺の「浴室」
  • 京都にある妙心寺の「浴室」

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