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江戸時代のツイッター

日本の伝統文化の一つで、「都々逸(どどいつ)」というものをご存知でしょうか?少し昔までは、「都々逸」の一つも語れなければ、男じゃない。と言われるくらいメジャーな文化で、酸いも甘いも噛み分けた粋な男のたしなみの一つでした。

レポーター紹介
 建築家
  • 都々逸発祥の地

「都々逸」(または「どど一」)とは、江戸末期に発生し流行した文化で、主に男女間の情を七・七・七・五の音数律で唄われる俗曲の一つです。現代で言えば、江戸時代の粋なつぶやき(=ツイッター)的なものでしょうか。伝達スピードはまったく違いますが……。江戸時代、庶民がつぶやき、それを三味線の音色にのせて唄い出したのが、「都々逸」ということです。言うなれば、誰もがシンガーソングライターであり、ミュージシャンだったのです。
そんな「都々逸」ですが、実は、18世紀末、名古屋の熱田神戸町で生まれて流行した「神戸節」に由来しているそうです。

  • 東海道最大の宿場で何かが起きた
  • 東海道五十三次 浮世絵写真

当時、熱田は「宮の宿」といって東海道五十三次の41番目の宿場で、あの歌川広重の東海道五十三次の42番図にも、「宮」と題した「七里の渡し」の舟着場風景が描かれています。
東海道唯一の海上路「七里の渡し」は、桑名宿と結ばれる重要なルートであり、尚且つ、美濃街道と佐屋街道との分岐点でもあった「宮の宿」は、東海道最大の宿場だったということです。

  • 左:七里の渡し 石碑 右:熱田湊常夜燈 (七里の渡しの常夜灯)

文献によると、寛政十二年(1800年)、宿場町であったこの熱田に、当時有名な「鯛屋」という料理屋があり、そこに、とても唄が上手い「お仲さん」という女中がいたそうです。このお仲さんらが唄い始めた「神戸節の唄」の合いの手に「そいつはどいつだ どどいつ どいどい」という囃子(はやし)言葉が入っていることから「どどいつ節」と言われるようになりました。現在でも、熱田区神戸町界隈では「都々逸」といえば「神戸節」をさすということです。

都々逸という粋

この唄は、「宮の宿」が様々な街道の分岐点であったことも手伝って、各地の流行り唄や甚句(PRソング)を取り込みながら、あっという間に全国に広まって行きました。江戸に伝わると、芸達者な坊扇歌という僧が、「都々逸」として確立させ、寄席や花柳界に拡がり、一般にも唄われる「都々逸」になっていったということです。

  • 裁断橋址 再建された橋の側に「都々逸発祥の碑」の石碑がある

ここで、いくつか粋で艶やかな唄をご紹介しましょう。言葉の裏に意味を持たせたり、掛け言葉にしたりして、味わいある唄にしているところが面白いです。
 
『 ついておいでよ この提灯(ちょうちん)に けして(消して)苦労(暗う)はさせぬから 』
 
『 君は吉野の千本桜 色香(いろか)よけれど きが多い 』
 
『 うちの亭主と炬燵(こたつ)の柱、なくてはならぬがあって邪魔 』
 
いかがですか?とても洒落の利いたユニークな詞だと思いませんか?実際に三味線の粋な音にのせて「都々逸」を聞くと、日本独自の奥行きのある愉しい唄だと感じることができます。

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